参加の時代から参画の時代へ
Posted by local knowledge on July 22nd, 2022
似たような2つの言葉を1本の時間軸上に展開すると、その言葉の意味の差異が極めて明確になる場合があります。
例えば「信用」と「信頼」。信用は過去の取引に対する実績を示す言葉ですが、信頼はこれから起こるであろう未来への信託になります。多くのビジネスには「信用取引」が存在しますが「信頼取引」という用語がビジネスシーンで利用されることはないでしょう。信用取引は「過去とさほど変わらない確実な未来」を描くことができますが、これは縮小均衡していく可能性が高い。それに比べると信頼は(かなり危ういのですが)見たことのない未来を切り開く可能性を秘めています。蛇足ながら、信頼獲得の前提になる「共感」がミラーニューロン(mirror neuron)によるものだ、ということがジャコモ・リッツォラッティ(Giacomo Rizzolatti)らによって発見されていて、ノーベル生理学・医学賞の最右翼、と言われています。
次に投機と投資を比較しましょう。「投機」は極めて短時間に(投下した原資を)回収しようとします。例えば株式市場における裁定取引(arbitrage)などはミリ秒(ms)のスピードで売買を繰り返します。現実世界で展開されているそのほぼ全ては「投機」とみなすことが可能で「償還期限付きの投資」など単なる融資に過ぎません。本当の投資は回収を目的とはしないはずなのですが、医療・福祉・教育の3分野でさえ投機的になっているのが現実です。例えば基本的な交付金(投資)を減らし競争的資金(投機)の獲得のために大学教員を奔走させるという制度設計はかなり歪んでいる可能性が高いことが(論文数の減少などで)証明されてしまいました。
では安全と安心はどうでしょう。安全は過去の実績から推定できる明確な物理量(5mの堤防、30秒以内の脱出、など)として表現されるのに対して、安心は個人の感情の状態に過ぎません。したがって安心は議論の俎上には乗りにくく、安全は輿論に値するはずです。ところがその物理量が果たして妥当かどうかは経済(状態)の関数であることが多いので、その正しさは実は誰にもわからない、という弱点があります。適当なところで折り合いをつけるしかないわけです。あまりカネをかけずに個々に安心を追求するほうが社会的コストは劇的に下がると同時に、豊かさという付加価値を演出しやすいかもしれません。このあたりは(少し古い本ですが)村上陽一郎先生の『安全学の現在』が多くの示唆に富み、勉強になりますので、もしお時間ありましたらご一読ください。
最後に参加と参画の違いをご説明します。「参加」はすでに出来上がった企画に(時間的に)後から便乗すること、「参画」はその企画の立案自体に最初から加わることです。「参加」は当事者意識が芽生えにくく、冷ややかなお客様モードになることが多い。もはや死語と言ってもいい「プレミアムフライデー」などは参加タイプの典型的な失敗事例でしょう。地域行政に求められるのは参加型を最低限にして参画型を増やすことです。「住民参加」という言葉に違和感を感じる感性が必要なのです。行政は改良していくことが前提のプロトタイプ(原型)だけ用意してくれればいい。住民がそれをどんどん上書きしていくことを許容すると、時間的に遅れてやってきた人にも“参画”が可能になります。他人の意見を肯定しつつ改良していくという意味ではブレーンストーミング形式の議論に近いかもしれません。
ローカルナレッジ 発行人:竹田茂
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