Local Knowledge(ローカルナレッジ)とは

「ローカルナレッジ」は「専門家のためのウェブ読書会」としてリニューアル(renewal)しましたが、ここでいう「専門家」は、今この文章を読んでいただいている皆さん全員のことを指すことをこれからご説明させていただきます。「専門家とは誰か(=誰のことを指すのか)」については私自身が企画した同名のタイトルの書籍にぜひ目を通してください。晶文社・葛生知栄さんのお陰でとても良い本になったと思います(この書籍自体が彼女の企画力で出来上がったようなものですが)。お急ぎの方は同書籍、冒頭の村上陽一郎さんおよび藤垣裕子さんの論考を読んでいただくだけでも「目から鱗」であることを保証します。

さて、私たちが「あの人は◯◯の専門家だから」という時、ある特定分野におけるその人の知識量や経験知の総量を重視することが多いはずです。もちろんそれもまた重要な資質であることは論を俟たないわけですが、私たちの日常生活で必要な「専門性」なるものは知識量などよりは、むしろ距離の関数として体感しています。いつ実用化されるかわからない創薬の開発に没頭する専門家よりは、具合が悪い時にすぐに駆けつけてくれる近所のお医者さんの方がありがたいですし、近所でガス漏れが起きた時にはすぐに駆けつけてくれるガス会社のスタッフの専門性が頼もしい。つまり、何かあったときにすぐにサポートしてくれる人は、そのサポート内容に関する(瞬間的な)専門家として振る舞うことになる、ということです。ですから、例えば、自宅で親を介護する息子がいるとすると、その息子は自分の親の介護に関する専門家といえます。何しろ息子以上にその親の様子を熟知している人はいませんからね。

ここで重要なのは技能・力量ではなく「ずっとそばに寄り添っている」という態度の中にその専門性を発見できるということと、その専門性の価値はその影響力の範囲(=対象の広さ)とは無関係、ということです。実際、私たちは様々な方面から様々な専門性の恩恵を享受していますが、実はその重層的な専門性のどこかを自分自身が担当していることに対して無自覚であることが多いのではないでしょうか。これは、消費者が実は別の何かの生産者である、ということと同じです。子供は純粋な消費者のように見えますが、子供でなければ提供できない可愛さ・愛おしさの生産者とみなすことも可能ですし、同時に「遊び」の専門家として、常識に塗れた大人には思いつかない遊びを開発したりします。つまり大人であれ子供であれ、私たちにはその存在自体にすでにある種の専門性が発生していて、多くの人に大きな影響力を与えることができる専門家と、たった一人の年老いた家人の面倒を見ているだけの専門家に、その専門性についての優劣はない、ということです。

さらに重要なのは、その専門性がヨコ(他分野あるいは他の地域)への往復運動(=藤垣裕子さんの受け売りですが)を始めると、実に創発的でクリエイティブな運動体になる、ということですね。ですから「ローカルナレッジ」としては、まずは市井の専門家である(私も含めた)皆さんと当該分野の書籍の著者を「接続」させていただくと同時に、関心がなかった他分野へ横移動して欲しいと願っています。それによって皆さんの専門性がより進化(深化)すると確信しているからです。また著者と私たちは教師と生徒の関係ではありません。あくまで同じ専門家同士の対話(dialogue)であるべき、と思います。ですから「ローカルナレッジ」はウェビナー(Webinar)形式よりはミーティング(Meeting)形式を重視・優先します。そして最終的に、それまでは他人だったオーディエンスの皆さん同士が新しい人間関係を作って、新しいプロジェクトを立ち上げたりしていただければこれに勝る喜びはありません。

なお、「ローカルナレッジ」という言葉は、米国の文化人類学者クリフォード・ギアツ(Clifford Geertz)の1983年の著書『Local Knowledge: Further Essays in Interpretive Anthropology,』(邦題:『ローカル・ノレッジ――解釈人類学論集』クリフォード・ギアツ著 , 梶原景昭(他3名)訳、岩波書店1991年)における彼自身による造語です(「ノレッジ」というカタカナ表記は日本国内では一般的とは思えないので、当サイトでは「ナレッジ」という親しみやすい言葉に変えました)。一般的あるいは普遍的な「知」に対して、ローカルナレッジは、局所に偏在し、現場の状況からは分離しにくい知識あるいは言語化しにくい身体知のようなものを指します。ギアツは、これがその地域での掟(おきて)あるいは法のようなものにつながっていくことを示唆していますが、同著は極めて難解なので、皆さんは読む必要はないと思います(私自身、きちんと理解しているかどうか、甚だ怪しい)。私自身はこの「ナレッジ」を「知恵(wisdom)」に近いニュアンスで利用しています。アタマよりは身体に宿る知恵のようなものをさらに深める、あるいは他の現場で利用するきっかけとしてこの「ローカルナレッジ」をご利用いただければ、と考えています。