直接対話の効能
Posted by local knowledge on September 30th, 2022
テレワークがある程度定着したことで、そこかしこから実空間での雑談の重要性が聞こえてきますが、雑談はそれ自体が主体(subject)にはなり得ないということには留意したほうがよさそうです。「さて会議でも始めるか」は慣れ親しんだ日常ですが、「さあ雑談しよう!」とその開始を高らかに宣言するオヤジは妙に健康的なだけに少々不気味です。雑談は、他生物の細胞を利用して自己を複製させるウイルス(virus)とよく似ています。すなわち単独では成立せず、必ず他の主たるイベント(会議、会食、学会、朝礼、休憩、合宿、その他)に寄生し、そこからの「流れ」として発生するのが普通です。
所詮「流れ」ですから、その内容は源流になっているイベントの性質や参加メンバー(の一部)をそのまま引き継ぐことになりますが、儒教的価値観から開放され、自由な発言が楽しめる(あるいは無言でも構わない)のが雑談の最大の魅力でしょうか。最低限の礼儀をわきまえた無礼講、というわけです。本会議中であれば荒唐無稽ということで一笑に付されかねないアイデアが雑談の場で披露されることでそれが極めてクリエイティブなものとして評価された、という経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。
雑談は源流としてのイベントの性質に加え、場所の影響を大きく受けます。例えば勤務先に設置されたタバコ部屋は狭いからこそ落ち着くところがあって、業務時間中にもかかわらず、喫煙という不健康かつ軽い罪悪感を覚える時空間で休憩(というイベント)を共有する連帯感がその場で交わされる雑談の品質を規定します。これがもし居酒屋なら(同じ社内のメンバーだとしても)雑談のテーマは人事に関する噂話になるはずです。一方、ジェームズ・タレル(James Turrell)が作った「光の館」に設置されている「青空が見える大広間」に寝転んでの会話は、未来への希望に満ちた雑談になる予感がします。特に場所の広さはその中に収容される人数と人と人の距離を大きく左右するので、そこがコミュニケーションに大きな影響を与えることになります。
距離がコミュニケーションに大きなインパクトを与える、と指摘したのがアメリカの文化人類学者エドワード・ホール(Edward Hall)です。彼は著書『かくれた次元(The Hidden Dimension )』(みすず書房、1966)の中で、距離によって人のコミュニケーションの質や意味が変わることをプロクセミクス(Proxemics:知覚文化距離)という言葉で説明しました。他人との距離は8種類にゾーニング(大雑把には4種類)されるといいます。雑談に関係が深いのは当然近距離のゾーンです。嗅覚と放射熱を強く感じる密接距離・近接相(~15cm:愛撫・慰労・格闘)、密接距離・遠方相(15~45cm:親密に触れ合う距離)、個体距離・近接相(45~75cm:他人に何かを仕掛けることができる距離)、個体距離・遠方相(75~120cm:他人の表情を細部まで確認できる限界)辺りが雑談の“守備範囲”になります、雑談で重要なのは、話している内容よりも、距離、そして距離を遠因とする態度なのかもしれません。
この論考自体はかなり古いものですが、これを援護射撃したのが皮肉過程理論(Ironic process theory)で有名なダニエル・ウェグナー(Daniel Wegner)でしょうか。彼は「誰が何に詳しいかを知っていること」をトランザクティブ・メモリー(transactive memory)と定義し、個々の社員が個別にスキルを身につけようとするよりも、このメモリー量が多い組織ほど優れた組織である可能性が高いと指摘しました。そしてこのトランザクティブ・メモリーを成長させるために必要なのが「直接対話」であることを実験で証明したのが米テキサス大学オースティン校のカイル・ルイスです(詳細はこちらの記事を読んでいただくのが良いかと思います)。「雑談が重要なので出社せよ」と経営者が叫ぶのにはそれなりに科学的な根拠がある、と同時に、実は「何を話ししているか」よりは、話すときの相手の態度をじっと観察した方が見えてくるものやわかることが多い、ということです。特に視線は強力なメッセージになるのでこの実験結果は「目は口ほどに物を言う」ということわざに帰着します。
ローカルナレッジ 発行人:竹田茂
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