地上波は意外性満載のギフト
Posted by local knowledge on October 21st, 2022
オーダーしたものが届くことには何の意外性もありません(当たり前です)。しかしオーダーしていたことすら忘れていた輸入CDが、数ヶ月後にいかにも空輸されてきたことを感じさせる薄汚れたパッケージで届き「なんだこれ?」と開けてみたら、なんと欲しかったCD!。小躍りした次の瞬間にそれが自分が頼んだものだったことを思い出し一人苦笑する、という経験のある方もいらっしゃるはず。一瞬だけ「ギフトを受け取ったときのような嬉しさ」を味わえたわけです。
この輸入CDのケースは単なる勘違いですが、一般的なギフトの最大の特徴は「オーダーしていない」という点にあります。ECサイト全盛のこのご時世で「オーダーしていないものに出会える機会」は極めて貴重です。結婚式などでも、引き出物としてカタログを渡され、好きなものをオーダーしてくれ、という合理的なギフトが一般的になっていますが、それよりは新郎新婦から「ええい、ままよ」くらいの思い切った意外性のあるモノをいただいたほうが(使える/使えないはともかく)、新郎新婦に対する好印象が長期間持続するような気がします。
で、実は地上波(テレビ)の最大の特徴はこのギフト感覚にあります。YoutubeにしてもNetFlixにしてもあらかじめ見てみたい番組や映画が提示され、それを自分の意思で検索・選択または購入して鑑賞するわけですから「面白くて当然」、つまり自分が欲しいモノを購入した時と心理的状況は同じでしょう。そこに意外性が発生するのは、予想していたよりは面白くなかった時、くらいでしょうか。また、Youtubeなどでは視聴者の趣味嗜好、過去の閲覧実績などをベースにした“極めて的確な”レコメンデーションが働きますから、意外性はどんどん失われ、良くも悪くも自分の世界観が狭いものになっていきます。
それに比べると地上波は「何も期待していないけど、暇つぶしでスイッチを入れる」ことが多いはず。そもそもテレビは全身全霊で「あんたは何もしなくていいんだよ」というメッセージをアフォード(afford)するメディアです。で、そこでたまたま見かけた番組が“意外と”面白かった、という経験をお持ちの方も多いでしょう。地上波の番組は製作コストが桁違いですから、本来、品質にかけてはYoutube上の番組とは比較にならないはずです(ただしBS/CS対応などの多チャンネル化によって製作・編集リソースが希釈化してしまったことが現在の地上波の苦境の一因かもしれません)。これはYoutubeの品質を揶揄しているのではなく、おそらく役割が違う別のメディアなのですね。音楽でいうところのサビ(climax)の部分だけを地上波で流し、その音楽を最初から最後まで鑑賞したい一部の人は有料のネット上のアーカイブサイトへ行けば良い、というのが合理的な役割分担でしょう。
今、アルゴリズムが支配する時空間領域が(デジタル化により)急激に拡大しています。しかし私たちの寿命がその拡大に対応して伸びている訳ではない以上、アルゴリズムに支配されない豊かな時空間がどんどん圧迫されているという皮膚感覚には自覚的であるべきです。私たちはインターネットが大衆に解放されて以降(正確にはNCSA Mosaicが1993年にリリースされて以降)数多くの勘違いを繰り返してきました。「ネットでニュースが読めるから新聞はいらない」「電子書籍があれば、本はいらない」「ペーパーレスこそ正義」「メールで連絡が取れるので手紙は不要」「年賀はがきは時代遅れ」これらは実は全てが間違いです。アルゴリズムから解放された時空間の(古き良き)豊かさは実はかなり論理的に説明できます(これを書き出すと一冊の本になってしまうので止めておきます)。そして地上波はその代表格です。ただし広告営業戦略も含め、数えきれないくらいの戦術的間違いを重ねているのが、見ていて痛々しい。次世代の地上波デジタルには対抗馬としての5Gブロードキャストという規格も浮上してきていますが、今議論すべきは編集・製作・営業のリソースを密度の高いものにすることを含めたビジネスモデル自体の再構築でしょう。
なお、今回、このコラムを書いてみようと思いついたきっかけが東洋経済オンライン「ブックオフ—こだわり皆無な売場」が逆に新しい訳」でした。行き過ぎた分類や販売戦略が息苦しいキャンペーン空間を作っていること、そしてこれが予想外の出会い(=意外性)を阻止していることについて、書店も図書館も、少し立ち止まって熟考すべき時期に差し掛かっているのかもしれません(新しいビジネスチャンスのようにも思えます)。
ローカルナレッジ 発行人:竹田茂
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