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マテリアルズ・インフォマティクスとは

Posted by local knowledge on December 9th, 2022

一般設計学というものがありまして、現在、東京国際工科専門職大学・学長の吉川弘之氏が1970年代の東大工学部教授時代に提唱された構想です。これは一種のメタ設計学、すなわち設計という行為の設計学になっています。機械であれ建築物であれ、あるいは選挙などの制度設計にも利用可能な汎用性の高い設計学があり得る、という極めてエキサイティングな主張です。少々難しいのですが、最近『一般デザイン学』 として大幅な加筆修正が施され、装いも新たに岩波書店から発行されました。相変わらず少々難解ですが猛烈に面白いです。

設計(design)とは、様々な期待や欲望に対して、それを充足させる存在を作る行為であり、人工物だけではなく、仕組みや制度のような抽象的なものも対象になる、デザインという行為が人の知的作業における概念操作と位置づければ、デザインの対象は「なんでも構わない」というわけです。これに現代的状況を加味するとしたら、1)概念操作が人の作業とは限らない(AIである程度できるかも)、2)設計による成果物自体が動的に変化することが前提になる、ということでしょうか。もしもそうだとすると、設計図(blue print)もリアルタイムで書き換えていく対象ということになります。

チームで行うスポーツにおけるポジションあるいはフォーメーションも一種の設計図とみなすことができます。ところが状況が変化すれば、当然フォーメーションも変えていくことになる。設計図はリアルタイムで(動的に)書き換えていくのが前提、ということですね。IT業界でも、要求仕様書という設計図に沿った形で開発したものがリリースするときには時代遅れになりやすいことから、アジャイル開発(開発途中の仕様や要件は変更されるのが当たり前、という前提における開発体制)が主流になっています。あるいは、サッカーの試合のアナロジーに戻ると、Googleチームが繰り出す様々な攻撃に対して、ウエブサイト制作チームが、要件定義自体をどんどん変化させていく様子をイメージしていただければ良いかもしれません。常に試合のイニシアチブを握っているのはGoogleチームで、ウエブサイト制作チームはディフェンス(防御)に終始しているような気がしないでもありませんが。

基本的な設計図に、膨大なデータを超高速で統計的処理を行う巨大なサブルーチンが加わり、そのサブルーチンが基本設計図をどんどん変化させていく、という意味ではクリントン( Bill Clinton)が大統領だった頃の米国で大流行したバイオインフォマティクス(bioinformatics)が思い浮かびます(2000年前後だったと思います)。そしてこの基本設計+計算機科学=動的一般設計という流れが今、新素材・機能材料開発の分野で導入され始めました。旅程表が旅行の設計図であるように、新しい機能性材料の探索にも探索手順書という設計図があるはずで、この手順書を状況に応じて逐次動的に変化させていくわけです。これがマテリアルズ・インフォマティクス(MI:Materials Informatics )かな、というのが現時点での私の理解です。

MIは、内閣府が数年前にまとめた「マテリアル戦略」の中心の話題になっていて、物質・材料研究機構などが中心になってその研究を推進しています。トヨタも既にWAVEBASEという名称でサービスを開始していたりしますし、私が主宰する「シュレディンガーの水曜日」でも(当時)東工大教授・一杉太郎氏の話題提供がまさにこれでした(現在、一杉氏は東京大学教授)。「計算機科学」の部分にどのようなアルゴリズムをぶち込むかが重要で、下手な鉄砲も数打ちゃ当たる的モンテカルロ法(Monte Carlo Method)だったり、スパムフィルターとして実績のあるベイズ推定(Bayesian inference)だったりするわけですが、特徴量の抽出のセンスのようなものは長年の素材研究の経験がないとなかなか難しいでしょうね。AIのアルゴリズムのようなものは汎用性が高いのですが、そのチューニングには物質科学分野での実績がモノを言うはずで、日本人ノーベル賞受賞者の大半がこの分野から輩出されている実績からすれば、MIは閉塞感漂う日本の科学・技術力における突破口になりそうな予感がします。

この「動的一般設計学」はいわば相互作用のデザインです。例えば「おもてなし」を「過剰なサービス」とみなす経済学者がいますが、サービスがサーバント( servant )からクライアントへフィードされる一方的な行為であるのに対して、おもてなしは相互作用なのですね(これは熊倉先生からの受け売り)。サービスの提供者自身がそのサービスを楽しむ、つまりサービス=提供、おもてなし=交換、なので、これは別の行為とみなすことができます。これに自然、物質そして人工物にも霊性( spirituality )を感じるのが得意な国民性が加わったときに日本らしい“おもてなし”が完成するのでしょう。出力と入力の相互作用を論じたオートポイエーシス(Autopoiesis)という考え方が流行ったのが、先に述べた吉川氏が「一般設計学」の最初の論文を書いた頃とほぼ同じ時期(1970年代)なのは何か理由があるのかもしれませんが、おもてなしってとてもオートポイエーシスっぽいなあと思うわけです。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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