ChatGPTで試されているのは実は私たちの知性
Posted by local knowledge on February 10th, 2023
随分前に実施したセミナーで、主催者として非常に面白い体験をしたので、ご紹介しておこうと思います。
そのセミナーのテーマは知的財産権に関連した比較的高額(有料)なものだったと記憶しています。聴衆は100人程度、ほぼ全員が企業の法務部門の方でした。当然経費として落とせるセミナーです。内容は最初から最後までパネルディスカッション。日本人が大好きな「個別に小分けしてプレゼンするだけの予定調和型パネルディスカッション」ではなく、本当の「議論」です。4名程度の方を壇上に招聘させていただいたのですが、事前打ち合わせの時に私がそれぞれの登壇者にお願いしたのは「あなたの主張に忌憚のない意見や反論をぶつけることができる“友達”を必ず一人連れてきてほしい」ということでした。で、当日は実際その友人4名がいわばサクラとして聴衆の中に潜んでいたわけです(大学の公開講義と似たような形式ですね)。この“友達たち”には謝礼はお支払いしてませんが、登壇者の関係者という事で無料招待しました。
前半の登壇者たちだけのディスカッション終了後、後半は会場との質疑応答に移り、サクラの4人が次から次と壇上の4名に対して、鋭いツッコミを入れ始めます。彼らは特に失うものがあるわけでもないので、実に自由な、しかし気の利いた質問が飛んでくる。これに応えようとする壇上の4人は自分の主張を“守る”立場にならざるを得ないのであまり妙なことを口走るわけにもいかず、どうしても言論が保守的になりがちなのですが、ともあれこの質疑応答で会場の雰囲気がまるで“楽しい団交(団体交渉:もはや死語かもしれませんね)”のように一変します。会場全体が騒然とし始め、それを眺めているその他大勢の聴衆がその熱狂に包まれ始めているのが手に取るようにわかります。テーマは知的財産権であるにも関わらず、です(笑)。
お気付きのように、この熱狂の理由は、サクラ4人の質問レベルの高さにあります。質問というよりはむしろ自分自身の意見表明、あるいは何の制約もない状態での無防備なアイデアだったりするので、面白いに決まっているわけです。聴衆に対しても「あ、そういう見方があったのか」という気づきを与えてくれます。会場はレベルの高い質問群によって支配されていたわけです。
一般に「Q&A」形式のコンテンツは、A(解答)が主役だと思われがちですが、いうまでもなくこの世の中には“正解”というものは数学の一部やパズルの世界以外に存在しません。また仮に正解があったとしてもそれは個人固有のものに過ぎず、そこに汎用性はありません。人の数だけ正解があるとしたら、それは正解が実在しないことを示しているだけの話です。私たちの日常空間を埋めている事象のおそらく90%以上はジレンマとパラドックスだけでしょう。
むしろ極めて重要なのがQ(質問:どのような議題を設定するかという能力)です。優れた質問・課題発見にはそこに多くの人を巻き込む力があります。例えばSDGsという課題設定は何の面白みもない「そりゃまあそうだろうねえ」という問いかけに過ぎないので、意外性も含めた「あっ。その視点があったか」という発見が皆無なので流行らないのです。話題のChatGPTも「果たしてこれがどの程度使い物になるのか」ということで多くの人がその“能力”を試しているようですが(実際、私も少し使ってみました)、「日本で2番目に大きな湖は何?」などという凡庸な質問を入力して、当たった当たらないと騒いでいるのは少し滑稽ですね。試されているのはChatGPTの能力ではなく、ChatGPTに“気の利いた質問”ができるかどうかの私たちの知性なのだと思います。どうでもいい質問に的確な「答え」が出せるかどうかはデータ量・アルゴリズム・コンピュータパワーだけの話なので、ユーザー数が増えればその意味での精度はこれからどんどん向上するでしょう。しかしそれらの大半は全て「終わった話」を基にしているに過ぎません。
ChatGPTが全く応えることができず、その質問を見た他の人に斬新な気づきを与えるものこそが「優れた質問」です。この質問を創造する知性はヒトにしかありません。偉そうな物言いで恐縮ですが、私たちはChatGPTの試用を通して、私たち自身の知性が問われているのだ、ということをもう少し自覚した方がいいのかな、という気がしますね。
ローカルナレッジ 発行人:竹田茂
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