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アウトプットはインプットに優先する

Posted by local knowledge on June 2nd, 2023

20年在籍した会社を辞めた直後に「起業しようと思ったきっかけを作った本があるでしょ」と知人から問われた際に、真っ先に頭に浮かんだのが『フリーエージェント社会の到来 /組織に雇われない新しい働き方』(ダニエル・ピンク著、ダイヤモンド社、2002年)でした(2014年に新装版が出たようです)。で、これを読んだことをきっかけに会社を辞めようと思ったのだ、とその知人には答えた(その時は本当にそう思っていた)のですが、冷静に時系列を追ってみると、これ明らかに後知恵なのですね。

実際には恩師が役員を退任したことがきっかけだったような気がします。残された経営陣の中にはインターネット事業に理解のある人が一人もいない、もはや俺を守ってくれる人はいなくなった、ここにいても将来はない、会社でもつくろう、という順序です。そしてその起業という行為を正当化すべく、かなりバイアスのかかった書籍のコレクションが始まるわけですが、その大半がいわゆる自己啓発本で、その中の一冊に先にご紹介した書籍が含まれていたというのが実態でしょう。先立つ想い(起業という行為)があって、そのためだけに必要な資料群(書籍)が後から追っかけてきた、という順序です。

書籍に対するこの態度は起業後も同じです。つまり1)何かやらねばならなくなり、2)それを実現するために必要な資料を集める、という順序です。流石に業務ということになると2)に自己啓発本を持ってくることはほぼありません。なんらかの専門書や学術書になることが多い(ただし、自伝などは大いに参考になる場合があります)。それが自己啓発か専門書かは「参考文献」の充実度だけを見ていれば十分です。自己啓発本の多くはこの参考文献なるものがありません。根拠や論拠が著者自身にしかない、ということですね。一方信頼性の高い専門書や学術書は参考文献の紹介のためだけにとてつもないページ数を割いていることがあります。科学的知見は積み重なるものであることを参考文献(の多さ)が表現している、と言えるでしょう。

専門書は最初から最後まで通読する、ということはありません。必要と思われる部分だけに目を通せば良い。辞書と同じ使い方です。一般的な“読書”と言われる行為は「全編を読み切る」ことが前提になっていますが、この読書方法に弱点があるとすれば、読み切ったという満足感や気持ちの充実度と、当該書籍に対する高評価の区別がつかなくなることですね。このような一般的な読書は多くの場合、いわゆるコンサマトリー(consummatory)、すなわち自己充足的な読書(読書自体が目的になっていて、そこでの知見を他に活かそうとはしない)であると若い頃は認識していて、個人的には忌み嫌う行為だったのですが、起業直後にクルマ通勤をするようになったことをきっかけに「コンサマトリーも案外悪くないかもな」と思うようになりました。

きっかけを作ったのはクルマの中で聞く放送大学でした。運転中ですから当然、読書は不可能です(朗読であれば聴くことはできますが)。で、何気なく聴いていた放送大学(当時はFM波で放送されていました)が猛烈に面白いことを発見したのです。そしてそれは私がそれほど若くないからだ、ということがすぐに判明しました。つまりある程度の専門性を積み重ねつつある自分には、放送大学の講義を本当の意味でクリティカル(critical)に聴く資格があるらしいことがわかったのです。大学の先生の話は、それが自分の専門分野の場合、現場感覚とはかなり乖離していることが多いのですが、歴史的な経緯などは非常に参考になるのですね。

一方、通勤の時間帯に合わせて聴いているだけなので、その時間帯にどんな講義が行われるのかを予め調べているわけでもありませんから、時として「自分が絶対に積極的に聴くことがないであろう講義」が行われていることもあります。『日本文学史・源氏物語の秘密』とか(笑)。高校生の頃は間違いなく居眠りしていた講義なのですが、この年になるとこれが非常に面白いことを発見します。これがコンサマトリーをバカにしなくなった理由です。専門性を高めれば高めるほど「どうやら全ての世の中の事象はつながっているらしい」ということを実感するからでしょう。源氏物語と熱力学第二法則は必ずしも無関係ではないことを理解し始めるとその人の専門性はより深まる、とでも言うんでしょうかね。従ってその読書が「コンサマトリーかそうでないか」という区別をつけることにはあまり意味はないのです。

重要なのはインプットとアウトプットの順序ですね。まずはしっかり学んで(=input)その結果をきちんとだす(=output)のが学校での学習だとすると、実業におけるこの順序は逆転します。「とりあえずやってみて(=output)、足りなかった部分を補う(=input)」が正しい。で、そのインプットすべき良質な材料が様々な分野に大量に溢れているという事実に愕然として、途方に暮れているのが現在の私かもしれません。何しろ源氏物語でさえ参考になりますからね。優秀な人は若い頃からそれに気がついているのだろうと思います。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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