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シグナル(signal)とノイズ(noise)を明確に区別するのは案外難しい

Posted by local knowledge on June 23rd, 2023

日本の食材は、その出始めの頃は走り(はしり)、栄養価が高く収穫量も多い時期が旬(しゅん)、そしてその食材がいよいよ終盤に近づくと名残(なごり)を迎えるということになります。通信業界におけるSN比(signal-noise ratio)のアナロジーで言えば、旬こそがシグナルで、走りと名残はノイズに該当するはずですが、走りならではの躍動感や、名残でなければ味わえない愛おしさ(台風一過のまだ波が少し高い状態が語源になっている、と聞いたことがあります)に想いを馳せてみると、これをノイズと見なすのは少々無理がありますよね。

1977年にリリースされたビートルズ(The Beatles)唯一のオフィシャルライヴアルバム『Live at the Hollywood Bowl』は2016年にリマスタリングされ、そのSN比が大幅に改善されたことで、よりクリアに彼らの演奏を楽しむことができるようになりました、が、当時の、つまり1965年頃のライブの熱量のようなものは大幅に消えています。言うまでもなく、彼らの演奏こそがシグナルで、観客の絶叫はノイズなのでしょうけれど、このシグナルとノイズを過度に分離したことでリアリティが失われてしまったのです。シグナルはノイズとパッケージにならないと、臨場感が創出されません。同じビートルズの「Let It Be… Naked」を聞いて「確かに音は綺麗だけれど、何か違う」と感じた方も多いはずです。(映画の)サウンドトラックならではの生々しさが見事に消滅しているのです。

映画館で見る映画は(自宅のPCやTVでは再現不可能な)本編終了後の大きな余韻を感じ取ることができます。あるいは長編小説を読みきった後に感じる、少しカラダ全体が熱くなったようなじわっとくる余韻も、映画本編や小説そのものから見ればノイズに該当するのかもしれませんが、もしもそうなのであれば、私たちが求めているのは実は極めて良質なノイズとしての余韻である、余韻こそが主役、と言えるのかもしれません。

大宮にある鉄道博物館は鉄ちゃんでなくとも楽しい施設です。私の世代ですと、肌色の車体に赤いラインが入った、国鉄(当時)の特急(183系あるいは381系など)に実際に座ってみたりすることができます。が、よくよく考えてみると、特に東京在住の方にとって最も懐かしい車両であるはずの当時の山手線や中央線の展示はありません。御料車(皇室用客車)、新幹線、特急などの「少し特別な車両」はあるのですが、日常的に利用したであろう車両の展示がないのです。特別車両はシグナル、その他はノイズなのかもしれません。特別なものだけをコレクションしたり、あるいはデジタルアーカイブとして保存することそれ自体は否定されるべきことではありませんが、それらだけで当時の生活(感)を再現するのは無理があります。このようなコレクションの手法に反旗を翻したのが、柳宗悦による民藝運動のはずなのですが、実際に日本民藝館を訪ねてみると、結局その中でも作品として優れたものだけが展示されているわけで「なんだか、ちょっと、違う」と感じてしまいます。

このような例をいろいろ見ていくと、ノイズこそが主役なのだ、とまで言い切る度胸はありませんが、SN比という価値観それ自体は案外微妙なことがわかります。先日NHKで『1分1秒をどう使う? “タイパ(Time Perfomance)”で驚きの時間活用術』という番組を放映していました。この「パフォーマンス」が何を意味するのかはよくわかりませんが、90分の映画を仮に倍速で視聴したとしても、全く「余韻」が獲得できないことはおそらく明白なので、タイパを重視することが逆に45分を無為に過ごすことなってしまうんじゃないでしょうか。一見パフォーマンスが高いように感じる時間効率重視の考えは「無駄の効用」を完全に無視することで成立するわけですが、それが私たちの望む世界でないことは言うまでもないことでしょう。

会議も、会議中の状態こそがシグナルで、その前後に非公式に展開される雑談は文字通り“雑音”のはずなのですが、最も大切なことが会議本番ではなく、その前後の雑談で決まった経験をお持ちの方も多いはずです。「雑」という漢字がむしろこれからの難局を乗り越えるためのキーワードなのかもしれません。雑誌(ざっし)、複雑系(ふくざつけい)。乱雑(らんざつ)、雑魚寝(ざこね)、雑踏(ざっとう)、雑用(ざつよう)、雑食(ざっしょく)、雑学(ざつがく)等々、「雑」なものの中から予期せぬ形で価値の高いものが出現してくる場合が(意外と)多い、ということですね。ここで重要なのは「下手な鉄砲」を撃ち続けることです。案外モンテカルロ法(Monte Carlo method)のようなアルゴリズムが「雑」の世界では有効なのかもしれません。

個々のクルマに搭載されたドライブレコーダーで記録された映像は品質も低く、雑音(雑映像?)程度のものかもしれませんが、もしも何万台ものクルマから寄せられるその映像を統合したとしたら、有識者や特定メディアによるセレクションとしてのデジタルアーカイブ映像と比較して、“記録としての品質”は桁違いに優れたものになるでしょう。「雑」という漢字の成り立ちに実はそのような意味があるので、興味のある方は調べてみてください。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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