ランディ・バースとメタバースが無関係とは言い切れない
Posted by local knowledge on July 7th, 2023
日本で最も活躍した“バース”と言えば何と言っても阪神タイガースに在籍していたランディ・バース(Randy Bass)であることは論を俟たないわけですが、これからみんなが流行らせようとしているのは“メタバース”です。しかし「メタバース(Metaverse)は、仮想現実空間を利用し、ユーザー同士のコミュニケーションや現実さながらのライフスタイルを可能にする世界です」という説明 には大きな誤解があるような気がしますね。これなら「あつまれどうぶつの森」を使っていれば十分でしょう。「流行りのバズワードを無定見に取り上げ広告的なビジネスを妄想してあえなく玉砕」は日本のIT企業のお家芸ですが、今回のメタバース騒動で売り抜けようとしている企業の大半はフェイスブックの社名変更をそのきっかけにしているはずで、あまり物事を深く考えていない連中が大半です。
メタバースにはVRの歴史も含めた深い洞察が必要です。一言で言えばメタバースはユーザインタフェース(user interface:接触面)の時空間的な拡張ですが、この研究の嚆矢と言えば、やはり「仮想と現実の融合:タンジブル・ビット-情報と物理世界を融合する,新しいユーザ・インタフェース・デザイン」の石井裕氏(2002年)、ニック・ボストロム(Nick Bostrom)の「ARE YOU LIVING IN A COMPUTER SIMULATION?」という論文(2003年)、そして廣瀬通孝氏による『シミュレーションの思想』(東京大学出版会、2002) でしょう。少々大げさですが、ユーザインタフェース(UI)には「使い勝手」という狭義の意味と「私たちの人生」という広義の意味が併存すると思うので、メタバース/VR関連で登場する言葉にはどうしても哲学的考察が必須になります。今回はそのキーワードのごく一部を簡単にご紹介しておくことにします。
1)シンボルグラウンディング問題(Symbol grounding problem)
2003年頃に、現在札幌市立大学の学長を務めていらっしゃる中島秀之氏(当時は産業技術総合研究所・サイバーアシストセンター長)から教わった言葉(工学系研究者の間ではもっとシンプルに“グラウンディング”と言ってたように記憶してます)ですが、彼自身によるこの用語解説のアップデート版を発見したので、そのまま引用します。
“人工知能(AI)の知識表現において、そこで使われる記号を実世界の実体がもつ意味に結び付けられるかという問題。「記号接地問題」ともいう。哲学者のスティーブン・ハルナッドStevan Harnad(1945— )がAIには意味が理解できないという論証の一環として提示した。たとえば、一度食べたことのある人は「梅干し」と聞けばその味を想起して口の中に唾液(だえき)が出てくるなどの現象が起こるが、AIにはそういった想起ができない。ある意味で、記号処理におけるフレーム問題や、常識推論ができないことなどのさまざまな問題と同根である。つまり、身体性をもたず、環境と切り離された形で記号の処理をしようとするために起こる問題である。外部世界にあるものを、内部記号に置き換えた時点で外部との接地が切れてしまう。実世界と相互作用するロボットなどでは、ロボットなりの記号接地ができるはずであるが、人間と異なる体をもったものの記号接地は、人間のものとは異なるはずである。”
詳細はリンク先を参照してください。
2)バーチャル(virtual)
「仮想(の)」という日本語が割り当てられることが多いのですが、これが案外曲者だな、と思います。というのもこれを「実在しないもの」という意味で捉える人が多く、しかもそれを間違いだとは否定しにくい側面があるからです。しかし本来は「実在しないことは確かだが、機能や効果は(同等に)発現しているので、実質的には存在する」という意味になるでしょう。「実態はないけれど、その実態が持っている本質的な機能は発揮している」ということです(その意味ではテレビ放送もバーチャルの典型的な事例になります)。つまり英語でいうところの「essential」が日本語の「バーチャル」に近い、と考えていただくといいでしょう。ちなみにこのバーチャル(virtual)の対義語はノミナル(nominal:名目上の)になるかと思いますが「名目GDPと実質GDP(Nominal GDP and Real GDP)という形で使われていることを重ね合わせると、virtual=realになるのが面白いですね。
3)リアリティ(reality)
こちらをご参照ください
4)ソマティックマーカー仮説(somatic marker hypothesis)
詳細はこちらをご覧いただきたいのですが、身体的なシグナルから生成された感情が意思決定に大きく左右する、という話ですね。「以前からその匂いが好きだった人とハグした瞬間に結婚を決意した」みたいな話でしょうか。これがメタバース上で実現すると、まさに身体とネット上の行為が“グラウンディングした”と言えなくもないところがあるわけです。これと併せて「カクテルパーティ効果」についても勉強しておきましょう。「意識」の問題がクローズアップされます。という具合にあれこれ考えるとメタバースで金儲けしたい人は生体情報学、心理学、そして超心理学をきちんと学んだ方が良さそうな気がしてきます(超心理学になってくると科学・宗教・魔術を超越してくるので、少々際どいですけどね)。
5)エージェント(agent)
メタバースプラットフォームを提供している事業者が最も勘違いしているのがこの「エージェント」の考え方でしょう。最も“メタバース”なのは何と言っても私たちが生息する実空間です。で、アドホックに事業者が運営する“メタバース”に参加することがある、というのが普通です。この時、言うまでもないことですが、主役はメタバースではなく、私たち自身、すなわちエージェントが主体になるべきで、実はこれ、もう何十年も前から私たちは「メールアドレス」というエージェントを駆使して生活やビジネスに活かしています。「メールアドレス」は単なるテキストと「@」だけで構成されているのでとてもそうは見えないかもしれませんが、これほど使い勝手のいいアバター(avatar)はないのです。@の左側に顔写真を割り当て、右側に洋服を貼り付ければ、もう立派なアバターになるでしょ? つまりポストペットはとても基本に忠実なメタバース、とみなすことができるわけです。どのメタバースにも通用するエージェントを開発したい業者は、とりあえずメールサーバを立てろ、という身もふたもない話になるところが面白いと思いませんか。
6)岩井克人の『貨幣論』(ちくま学芸文庫、1998)
メタバースの真髄は実はここにあるのではないかと思わせてくれる名著です。「貨幣はそれが貨幣であるという幻想を共有することによって貨幣として成立する」という考え方が、非常に新鮮だったと記憶しています。これは私たちの人生(life)そのものにも適用できる考えで、それがボストロムの「シミュレーション仮説」につながるわけです。紙幣そのものは単なる“紙”ですが、それに価値があるという“ルール”が私たちの生活基盤になっているにもかかわらず、ハイパーインフレになるとその紙はそのまま「紙クズ」になってしまうのが面白いですよね(当事者にしてみれば面白がっている場合ではありませんが)。それも含め、この貨幣論を読むと「通貨は仮想であることで成立している」わけですから「仮想通貨」という言葉は意味がダブっていることがわかるわけです(英語ではちゃんとCryptocurrency=暗号通貨という言葉が割り当てられています)。同様に「デジタルマネー」も不思議な言葉ですね。ずいぶん前からマネーはデジタルですからね。
この他にとてもたくさんの重要なキーワードがあるのですが、ちょっと長くなりすぎたので今週はこの辺で。ともあれ、ランディ・バースが活躍した頃の“記憶”が現在の阪神の強さに生きているという“仮説”を否定できないところに“現実”の面白さがある、と言ったら言い過ぎですかね(阪神ファンでもプロ野球ファンでもない私でさえ、メタバースと聞くとランディ・バースを思い出す、というのは凄いことのような気がします)。
ローカルナレッジ 発行人:竹田茂
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