言葉の意味から言葉の形と色の時代へ
Posted by local knowledge on October 20th, 2023
電磁波のうち、人間が光として感じることのできる領域が可視光(visible light)で、プリズムで(万国共通ではありませんが)7色に分解されるのはご存知かと思います。この可視光において最も波長が長いのが赤(640-770 nm:ナノメートル)、そして最も短いのが紫(380-430 nm)で、赤の外側は遠赤外線などが人の体(正確には皮膚)を温めてくれる、という効果があるのに比べると、紫のさらに外にある紫外線は「なんとなく危ない」という印象をお持ちの方も多いかもしれません。
一方、「色」は、1)光の波長、2)光を反射する物質の物性、3)視神経系における視細胞内の錐体(すいたい)の、3要素の相互作用の結果として創出されます。「光が3原色」なのは、人間が基本的に3種類の錐体(それぞれ青、赤、緑を担当)しか持ち合わせていないから(この錐体の数は動物によって異なります)で、これらを適当に合成して色を再現(認識)していることになります。最も波長が短い紫(purple)は赤と青を掛け合わせて表現されますが、この紫という色は実に微妙な色でして、青や赤に転びやすい(=印刷業界用語?)という特徴があって、色としては安定感に欠け、微妙なバランスの上に成立しています。歴史的には高貴な身分やある種の気品、妖艶さを表現するときに利用されてきたようですが、今でも、例えば僧侶の袈裟の色と葬儀の印象が直結していたりするので、神聖さと同時にある種の妖しさや不吉さを感じる人も多いでしょう。
仮に紫から妖しさを想起するとしたとき、この逆、すなわちある言葉から紫を想起する、ということも日常茶飯事です。私自身は例えば「伏魔殿」という言葉から紫色を想起するのですが、実際、検索エンジンに「伏魔殿」と打ち込んで画像検索してみると、やはりディスプレイ全体がなんとなく「青みがかった紫」になることが確認できます。このように、日本語は色から言葉を想起したり、あるいは「黄色い声」「青い顔」「腹黒い」という具合に、身体の部位に色を重ね合わせて感情を表現することも多いのですが、これも一種のマルチモーダルエフェクト(この解説がよくできています)ですね。
おーなり由子さんの絵本、『ことばのかたち』(講談社、2013年)などを読むと、言葉に形(shape)がある、ということが彼女の指摘通りに実感できますが、この絵本では、現在のインターネット空間を飛び交う言葉が全て「矢(arrow)」のカタチをしていて、相手を傷つけている、ということを見事に表現していますが、自分自身も、例えば会議で議論が白熱してくると、自らが発する言葉が相手に突き刺さりやすい「矢」のカタチになってしまい、結果的に一緒に仕事をする仲間を傷つけてしまうことも多い、ということを体感しています。ソーシャルメディアの出現以来、反論や論破はもとより、提言や提案でさえ言葉が「矢」のカタチになってしまいました。「矢」のようなカタチをした言葉が充満することで、結果的に一つ一つの言葉から重み(significance of words)が消えていき、逆説的ですが、論理的な言葉が少しづつ力を失いつつあるように感じています。むしろ言葉になっていない言葉、例えばオノマトペのようなものが、丸い形をしてコミュニケーション空間を優しく包み込むほうが余程説得される、あるいは共感できる、というシーンが増えているのではないでしょうか。
外で食事する時でも、今どき「不味くて食えない」ようなものを出す店はありませんから、料理そのものの微妙な差よりは、むしろそれを運んでくれるスタッフの笑顔のほうがメインコンテンツになってきています。同様に、言葉もその意味の差異よりは形式やカタチの差異が主役になりつつあるのかもしれません。加えてその形式の輪郭が少し曖昧でボヤけているほうが上手く(相手と)協調しやすいような気がしますね。
さて、紫という色が妖しさを表現するとした時、同じように妖しさ(というよりは怪しさですが)を表現するアルファベットの代表格がX(エックス)でしょう。方程式における“未知数”を筆頭に、とにかく「なんだかよくわからん怪しいもの」は全部Xです。DX、SX、GX、はたまた最近はOX(おじさんトランスフォーメーション)なる言葉もあるらしいですが、こういう気持ちの悪い言葉やサービスからは早晩ユーザーは離れていくでしょう(Xの成功事例としてはXEROXくらいしか思い浮かびませんけどねえ)。天才歌人・俵万智さんの 「言の葉を ついと咥(くわ)えて 飛んでゆく 小さき青き鳥を忘れず」「このままで いいのに異論は 届かない マスクの下に唇をかむ」 をじっくり堪能したいところです。
と、ここまで書いたら、島薗進先生の新刊が発売されたというニュースが飛び込んできました。『死生観を問う』 https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=24481 というタイトルです。「魂のふるさと」「無常」「孤独」「悲嘆」「慰霊・追悼・鎮魂」「桜」「うき世」を鍵言葉として大伴旅人、山上憶良、菅原道真、紀貫之、西行、芭蕉、一茶、折口信夫、金子みすゞ、漱石、金子兜太……の作品を読みこむ内容、だそうです。「矢」のカタチをした言葉はここには一つもありません。というわけで早速先生と日程調整をして、11月10日(金)の夜にこの書籍の無料の読書会(Zoomミーティングです)をローカルナレッジとして開催することになりました。詳細はその前の週にお送りするこのメールでお知らせしますが、とりあえずみなさん、買って読んでおいてくださいね。買わなくても楽しい読書会になるとは思いますが、まあとりあえず買ってください(笑)。
ローカルナレッジ 発行人:竹田茂
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