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ジャン・プルーヴェ(Jean Prouvé:1901-1984)に学ぶ

Photo : ふもとっぱらキャンプ場から見る富士山 / SHUTTER DIN / Adobe Stock

Posted by local knowledge on March 1st, 2024

ル・コルビュジエ(Le Corbusier、1887- 1965)の名前は聞いたことがあっても、ジャン・プルーヴェ(Jean Prouvé:1901-1984)は知らん、という方は多いのではないのでしょうか。私自身、今回松村先生からその名前をお聞きするまで全く知らなかったのですが、プルーヴェは13歳から鍛冶屋に弟子入りをし、たたき上げの金属加工職人であるにもかかわらず、建築やデザインも手がけるようになった、という異色の経歴の持ち主です。ル・コルビュジエからは「彼は次の時代の新しい建築家、すなわち建設家」と称賛されていました。自らが考案した建築のために必要な部品を自分で作ってしまう、という猛者だったわけです。

「車にせよ、飛行機にせよ、地面に固定されているものにせよ、およそもっとも進んだ工業製品は常に質的な革新を示している。建物だけが進歩していない」が彼の口癖だったようです。実際、プルーヴェほど新素材の採用に積極的だった建築家はいません。スチーム、アルミニウム、プラスチック、なんでもとりあえず取り入れ、当時としては最先端の加工機械を積極的に導入していたそうです。彼の代表作の一つである椅子「スタンダード」もスチールと木の組み合わせが絶妙だったりします。

さて、数値制御するCNCカッター、産業用ロボットアーム、高機能3Dモデリングソフトウエア、3Dプリンタなどを駆使した制作プロセスを「デジタルファブリケーション」と呼びますが、このデジタルファブリケーションの最大の特徴は「素材の選択肢が格段に広がる」という点にあります。従来の技術では考えられなかった建築物が作れる可能性が出てきた、と言えます。もしもプルーヴェががこの「デジタルファブリケーション」を手にしていたら何を構想しただろう。あるいは能登半島の惨状をプルーヴェが目にしたとしたら、どのような復興をイメージしただろう、と考えてみることは決して時間の無駄ではない、と思います。

今回の松村建築塾では、プルーヴェがル・コルビュジェ世代の若い建築家たちと交流を持つようになり、建築の部分のデザインと製作を任されるようになる1920年代の作品群。そして、プルーヴェが建築全体のデザインと製作を主導した記念碑的な作品、後に「曲げ鋼板の祭典」や「元祖ハイテク建築」と呼ばれることになる1938年の「クリシー人民の家」。当時の最先端の工作機械を装備し、航空機エンジニアを初め、先端的な多分野の技術者たちが次々にその門を叩いたという伝説の工場「マクセヴィルのプルーヴェ・アトリエ」での幸福な創作の時代、1940年代後半の作品群。大株主の意向により自ら設立し経営してきたその工場からプルーヴェが追い出された1952年の不幸な事件の経緯とその現代的な意味。そして、プルーヴェが求め続けた創作環境が今日に実現する可能性。そのあたりを松村先生と一緒に考える一夜としたいと思います。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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