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図書館で本が買えず、書店で本を借りられない不思議

Photo : 房総半島の小湊鉄道と菜の花畑 / tokoriki / Adobe Stock

Posted by local knowledge on March 22nd, 2024

「家族サービス」という言葉はさすがに最近はあまり使用されなくなったような気がしますが、「住民サービス」という言葉にも大きな違和感を感じます。「サービス概念をきちんと定義しよう」という機運が盛り上がったのは20年以上前(おそらく2003年頃)に米IBMのアルマデン研究所の論文「Services Sciences, Management and Engineering(SSME) 」がきっかけだったと記憶してます。日本もこれに追随する形で、例えば富士通研究所がリンク先のような優れたレポートを作成していて、この頃、産業技術総合研究所や東京大学のリサーチャの間で「サービスを概念定義すること」自体が流行しました。

一般的な理解では「ユーザーからの、金銭を添えたリクエストに応じること」がサービスのはずですが、日本では「サービスしとくわよ」という具合に「無償での便宜提供もしくはディスカウント」こそがサービスと考えている人も多いはずです。結局「住民サービス」とは当該地域の行政が当該地域の市民(住民)に税金と引き換えに提供する役務であり、十分に低価格もしくは無償であるべき、が半ば常識になっていて、「大したお金を払っているわけでもないのに(住民の)態度がデカい」ことがGDPと公的債務残高が年を追うごとに乖離している状況を作る一因になっていることはほぼ間違いありません。態度の大きさと過剰サービスに対する支払いがバランスしてないわけです。この状況に「団塊の世代(=自分が日本を成長させたと勘違いしている世代)」が最後の一撃を加えた上で去っていくことになります。

住民自身が公益性に貢献すれば、行政コストはグンと下げることができます。例えば「ゴミの分別収集」の一番最初のフェーズ、すなわち「ゴミを分ける」作業を行なっている住民は立場としては行政そのものとみなすことができますし、今回の能登半島地震のように「行政担当自身が被災者」になると、行政と住民の間に明確な区別(border)をつけることが実は極めて危険であることが明白になります。住民は実は準公務員なのですね。ついでに言えば、市議会議員が専業である必要もありません。みんなから信頼されている住民代表が副業でやればいいんです。

子供の頃、図書館で本が買えず、書店で本を借りられないことがとても不思議でした。全てのサービスや商品に重要なのは、それが「公益性に資する」かどうかで判断すべきで、ここに施設の事情や建前が加わるのは不自然です。当然「公営書店」もごく普通に存在していてもいいはずですが、それが日本国内には存在しませんでした(一部の行政が行なっている資料センターのようなものは除く)。今週木曜日(28日)は、官民連携を当たり前のことと考える書店「八戸ブックセンター」の音喜多信嗣(おときた・のぶつぐ)さんに、地域の知的ベースキャンプの本当の作り方を学びたい、と思います。ぜひご参加ください。

ローカルナレッジ 発行人:竹田茂

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