明日大地震が来るかもしれない日本における住宅のあり方
Posted by local knowledge on May 10th, 2024
比較的規模の似たA社とB社が対等合併して、AB新社になるとほぼ間違いなく「たすきがけ人事」、すなわちある期の社長や幹部を旧A社から出した場合は次期は旧B社から選出する、という具合に極めて規則的・機械的な人事が行われるようになります。このいかにも時代遅れな悪平等が定着している大企業はいまだにそこそこ実在するようですが、「たすきがけ人事」の是非はともかく、ここで着目しておきたいのは、人事のようなものでさえ、たすき(襷)を規則的に交差させる様子をメタファーとして用いることで可視化することが可能、ということです。構造そのものが可視化されることになり、その構造を維持し続けることがあたかも正義であるかのような錯覚をもたらす、という効能(?)があるのでしょう。
このように、一見、抽象度が高いと思われる“社会的価値”も大半は可視化することが可能です。二項対立、構造主義、アウフヘーベン(止揚)、バランスシート(貸借対照表)など、図化するのは実に容易です。「多様性」のような言葉も、xyz軸で構成されるユークリッド空間に展開・可視化すれば、それが「一億総中流」とは真逆の主張、すなわち貧富の差を容認する社会であることがわかるので「多様化社会って本当にみんなが望んでる社会なの?」という疑問が浮上してくることになります(個人的には「価値観の多様化」を標榜する組織や評論家はあまり信用していません)。
「好き/嫌い」でさえ可視化することで、それが「関心の強さ」を指す同義語であることがわかりますから、「あなた、私のこと好きなの?嫌いなの?」という質問自体が不良設定であることが一目瞭然なわけです(私の場合、幸か不幸かこのようなセリフで女性から問い詰められる、ということを経験しないまま一生を終えそうですが)。この場合、x軸の右に行くほど「関心が強く」、左に行くほど「無関心」に近づく、というのが「正確な可視化」ということになりますが、いずれにしてもある事象の是非を論じる前に一旦それを可視化した上で隠れた構造をじっくり観察すれば、どこを動かせばレバレッジ(梃子)が効くのか、あるいは一旦全部解体してから再構築した方が良いのか等、いろいろな道筋が見えてくるはずです。
一方、構造がほぼそのまま可視化されているのが「建築」ですが、ここにはどのような言葉が割り当てられるかで、認知上の誤謬が発生しやすい、というリスクがあります。代表的な言葉に「マンション(豪邸)」というものがありますが、「仮設住宅」も誤解を招きやすい。というのも、私たちの住まいそれ自体がいわば仮設住宅に過ぎないから、ですね。私自身が若い頃一軒家を新築した時に、施工を請け負ってくれた工務店に「この家、何年住めるの?」と聞いたら若くて元気な営業担当が「30年は大丈夫です!」と胸を張って満面の笑顔で答えたので思わずずっこけてしまった記憶があるのです。おいおいそれってローン支払い終わったら使えなくなってるって意味じゃねえか、と思うわけですよ。30年で使えなくなる家は立派な仮設住宅であります(実際にはまだ使えてますけどね)。
仮設住宅は、災害救助法に基づき、一般社団法人プレハブ建築協会に一括発注される仕組みになっています。加えて国交省の基準により仕様が標準化されていますから、ここには(一般の建築物のような)「設計」という概念が存在しません。つまり仮設住宅は建築物ではないのです(ちょっとびっくりですね)。しかし95年の阪神・淡路大震災で規定(2年間)を超えて住み続ける人たちが続出したことから、ようやく国もそこそこ長い時間を過ごす建築物としての仮設住宅の必要性を感じ始めたようで、2016年の熊本地震あたりから木造の仮設住宅が建ち始めました。そして今回の能登半島地震でさらに長い期間住み続けることが可能な木造仮設の建築が加速している、と聞いています。
ともあれ1960年代に登場した「プレハブ住宅」は、良くも悪くも、その後の日本の住宅産業に大きなインパクトを与えたことは間違いありません。しかし高度成長が終了し成熟を目指さざるを得ない、かつ明日大きな地震がくるかもしれない日本で作るべき「仮設的(仮想的)プレハブ住宅」というものは一体どのようなものなのかを、この4月に神戸芸術工科大学・学長に就任された松村秀一氏にお聞きしてみたいと思います。5月14日(火曜)19時に開講です。
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