人類は本を上回るメディアを今だに開発できていない
Posted by local knowledge on September 12th, 2024
私(竹田)は、欧州原子核研究機構(CERN)がWorld Wide Web( WWW)を開放し、Marc AndreessenがNCSA Mosaicの配布を始めた1993年の翌年から(雑誌社に勤務しているにも関わらず)「雑誌の時代は終わった」と嘯きつつ、長期低落傾向が見え始めた現場の編集長たちから顰蹙(竹田がやってることは雑誌部門の営業妨害だ、という苦情が経営会議に殺到しました)を買いながらも、自信満々でウェブメディアのプロデュース業をスタートさせ、その雑誌社を退職した後も、いまだに延々と“新しいメディアとしての”ウェブメディアを作っています(詳しい経緯はこちらに)。が、結局、NCSA Mosaic以降に出現した「メディア」は全てが(SNSも含め)電話のバリエーション、会話の拡張に過ぎないと(ようやく、最近になって)実感するようになり、今、改めて「では、最良で最強のメディアはなんだろう?」と考えてみたときには「本」しか浮上してきません。新聞でもテレビでもラジオでもなく、ましてやメタバースやVision Proなどでもなく「やはり本だ」と確信しています。人類が開発した最も優れたメディアは(今だに)本であり、それを上回るものはまだ出現していない、と思います。
その「確信した理由、根拠」をこと細かに羅列していくと16ページくらいの小冊子ができそうなので割愛しますが、一つだけ強調しておきたい、他のメディアでは実現し得ない機能を挙げるとすれば、それは「時空間での展開に関する自由裁量権」でしょうか。90分の映画を楽しむにはどうしても90分必要で(“タイパ”ユーザーは実のところ皆無に近いはずです。別の作品になってしまいますからね)、テレビは受像機(television set)の前に鎮座せざるを得ないわけですが、一冊の本をどれくらい時間をかけて「読む」かは読者の自由です。繰り返し読んでもいいし、ざざっと斜め読みするのもOK。読まない(積読)という行為にすら意味があります(背表紙が定期的に問いかけてくるはずです)。寝転んで読むのも、姿勢を正して読むのもOK。電車の中でも読めるし、電源が不要なので、充電する必要もありません。個人的には(最近は流石にやりませんが)分厚いビジネス書などは、読み終わった場所から破り捨てていた時期もあります(最後はペラペラの小冊子になってしまうわけですが、全てを読了した後に「いやあ、これは大変役にたった」と思った時はもう一度同じ本を買うのです。大した費用じゃありません)。
そして、その「自由な時空間内における自分と本の関係」を「そのまま本の中に」再現できる、いわばマトリョーシカ人形のような入れ子構造になっているのがありがたい。傍線やメモを書き込むのも自由。付箋を貼ったり、ページを折り曲げることもできますし、スピンやしおりを挟んでおけば、今、自分がこの本との小さな旅のどのあたりにいるのかも瞬時に把握できます(そういう意味では目次なるものは旅程表と同じですね)。結局、巻物(scroll)から冊子(codex)への変化が、開発した当事者も予想していなかった「劇的な進化」だったわけで、その意味では中身に何が書いてあるのかは、割とどうでもいいことなのかもしれません。
さて、来週のローカルナレッジ/本の場では、「知の拠点」の役割を担う市立中央図書館、「絆の拠点」となる市民活動交流センター、多文化交流プラザ及び「文化の拠点」となる展示ギャラリー等からなる複合文化施設である「みんなの森 ぎふメディアコスモス」のプロデュース・運営をご担当された吉成信夫さんが考える「本のある場所が育んでくれるもの」が一体どんなものだったのかを語っていただくことにします。本を中心としたまちづくりにご興味のある方、ぜひご参加ください。
https://www.localknowledge.jp/2024/09/1535/
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