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ステレオタイプで歴史を眺める危険

Photo :父母ヶ浜 香川 / Scott Mirror / Adobe Stock

Posted by local knowledge on September 24th, 2024

『言論統制』(中公新書、旧版は2004年)は、佐藤卓己さんの著作の中でも、引用した文献の中に占めるエゴ・ドキュメント(ego document:日記や手紙、個人的なメモ、などのように第三者に公開することを前提にしていない私的な文書)のボリュームがかなり多いという特徴がありますが、いつものように、それ以上の文献や資料を収集し、膨大なピースを時間軸に沿って、まるでジグゾーパズルでも組み立てるかのように丁寧にはめ込む精緻な作業に膨大な時間を費やしていることがわかる力作です。それらに時代情勢などを加味すると同時に、論理的整合性が取れない「虚偽に満ちた文献」をも暴き出していく様子は、まるで『砂の器(1974年の松竹の映画)』の今西刑事さながらです(この映画でも“手紙”というエゴ・ドキュメントが事件解決の糸口の一旦を提供しています)。

戦後のジャーナリズム研究における鈴木庫三(すずき・くらぞう)少佐(情報局・情報官。のちに大佐)は非協力的な出版社を恫喝し、用紙配給を盾に言論統制を行なった張本人、ということになっていますが、『キングの時代』を執筆中の佐藤さんはこの「鈴木庫三という悪名」をたびたび目にするようになり、その成立プロセスに疑問を抱き、様々な文献を丹念に追っていった結果、通説を覆す様々な事実が続出します。但し、佐藤さんはこの鈴木庫三という人物の汚名を晴らすことに関心があったわけではなく、リップマン(Walter Lippmann)が言うところのステレオタイプ(Stereotype:類型化された観念)で歴史を眺めることの危険性に対して警鐘を鳴らすことが目的だったのではないでしょうか。自民党の総裁選やそれを報道するメディアが繰り出す「ステレオタイプ」には流石にうんざりしている人が多いのではないかと思いますが。

佐藤さんの著作には具体的な改良案や(いわゆる)べき論が極めて少ない、という特徴があると思うのですが、文献を丹念に検証しただけの著作のほうが、熱い想いのこもったべき論だらけの書籍よりはるかに迫力があります。「僕は一応ここまで調べ上げたよ。これをどう活用するかはあなたたち(読者)次第だ」ということで(私たちにとっての)宿題を突きつけられた気分になるわけです。特にこの『言論統制』では「戦前・戦後に起きたことと似たようなことが今まさに起きているよ。さあ、どうするかは自分のアタマで考えろ」と言い放っているようにも思えます。

「まあ、そう言わず、少しヒントくださいよ」が、9月30日(月)の 19:00から実施する「レクチャーシリーズ:未来のメディアの作り方(第2回)」の目的であります。
https://www.localknowledge.jp/2024/09/1594/

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