newsletter

建築学ならぬ解築学について-何故いま解体から考えようとするのか?

Photo :芝生の公園のブランコ / gorosan / Shutterstock

Posted by local knowledge on October 1st, 2024

作家の故・橋本治は『「原っぱ」という社会がほしい』と言い残してこの世を去ってしまいましたが、私(竹田)自身の個人的な体験としての「原っぱ」は自宅(実家)のすぐそばにあった「神社」でして、「そこが共有地か私有地かをあまり気にしていない」「先輩(といっても小学校高学年)や地域の人がそこにいると(むしろ)面倒臭い」「全てが曖昧で基本的には自己責任(実際、何度か自分自身の不始末で大怪我をしています)」「その場での(遊び方の)ルールは友達と決める、もしくはその土地に根付いていた(緩い)ルールのようなものがあるようなないような」というものでした。子供の世界ならではの駆け引きや派閥争いなどもあったりするので、必ずしも「原っぱ」なるものが「懐かしく思い出される古き良き時代を過ごした場所」とも言い切れないのですが「明確な利用ガイドラインが存在しない真剣でお気楽な雰囲気」、すなわち米国の社会学者オルデンバーグ(Ray Oldenburg)が1989年に、著書『The Great Good Place』でその重要性を指摘した「サードプレイス(3rd Place)」に近い場所だったことは確かですね。

ところが超過密都市である東京23区は、この原っぱ(空き地)なるものが消滅した上に、老朽化したビルと空き家だらけの満身創痍の都市になってしまいました。建て替えようとしても権利関係が複雑化し過ぎていたり、あるいはマンションなどの場合、1983年(昭和58)年の区分所有法改正で敷地権化されたマンションと、それ以前に竣工した敷地権化されていないマンションが混在している、という具合に、様々な建築関連の法令の隙間、あるいは当該地区だけの建築協定の縛りなどにより、身動きが取れない状態になっているのが実情です。

概念としての「原っぱ(共有地)」を取り戻し、皆が楽しく過ごせるコミュニティを作るためには、超高層ビルを美しく解体する技術のようなものが必須ではありますが、それ以上に重要なのが様々な社会制度設計や建築基準法などの改変、あるいは柔軟な運用を可能にする“技術”なのかもしれません。

松村先生(神戸芸術工科大学・学長)がそのあたりをどう考えているのかを問うのが来週火曜日(8日)に開催するレクチャー・シリーズ(最終回)「建築学から解築学へ」です。制度疲労と経年劣化満載の都市空間、あるいは居住空間をどう再構築すべきなのかをお聞きすることにしましょう。
https://www.localknowledge.jp/2024/10/1604/

最新コラムはニュースレターでお送りしています。お申し込みは下記から

ニューズレター登録はこちら