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「わからない」ほど素晴らしい方法はない

Photo : 晩秋の東京大学本校キャンパス構内 / 竹内 正人 / Adobe Stock

Posted by local knowledge on November 13th, 2024

「わかる」には、主に「分かる」「判る」「解る」の3種類の異字同訓があります。最も一般的なのは「分かる」だと思いますが、この短いコラムはこの区別を重視せずに「わかる」で通すことにします。

さて、なぜ私たちは「わかると嬉しいのか(わかってもらえて嬉しいということもありますね)」といえば、それまでそれが「わからなかったから」です。「わからない」のでやってみたら「わかった」ということになりますから、「わからない」はある種の問題解決のための原動力であることが「わかり」ます。一方、すでにわかっていることができるのはあたりまえ、と考えがちですが、わかっているつもりで突き進んでいくと、さらにその奥に底知れない「わからなさの大海」が控えていることに気づきます。この「わかればわかるほどわからなくなる」というパラドックスは「わからないという問題解決方法」それ自体が私たちをその深みに誘う理由になっていると思われます。

例えば私自身は「ウェブメディアのプロデューサ」を自認しつつ、かれこれ何十年も同じ仕事を繰り返しています。それなりにわかっている人だと(他人からは)思われているかも知れませんが、自分自身はいまだにああでもないこうでもないと試行錯誤を重ねています。自分自身に「わかっている」という自信がないので、似たようなことを延々と繰り返すことができる、という言い方もできるでしょう。同様に、毎日同じ仕事を繰り返しているように見える職人も料理人も研究者も、おそらく日々(ほんの少しだけ)新しい発見があるから「同じことをやっているように見えて、少し先に進んでいる」のだろうと思われます。その時の原動力になるのが「わからなさの魅力」に他ならないのです。わかればわかるほどますますわからなくなる、というパラドックスは「わかる」ことの深さを広さを痛感させると同時に、益々自分をその「わからなさ」の面白さの虜にしてしまう、という側面があるのです。

世の中にはこの「わからなさの面白さ」を発見する機会を提供してくれる奇特な方がたまに出現します。11月23日のセッション4にご登場いただく長澤忠徳氏(武蔵野美術大学・理事長/前学長)がまさにその人です。何しろ「課題を出さないコンペ」を主宰したり、黒く塗ったA4用紙を「これが課題だ」と学生に突きつけたり、やってることが(一見)出鱈目なのですが、これはどうやら「自由というアンテナをフル稼働させる」のが目的のようです。見た目と声が俳優の稲川淳二そっくりということも相俟って、事前打ち合わせは抱腹絶倒の連続だったのですが、「客観的であることが防御になってしまっている優秀な学生」のアタマをいかに柔らかくするかに腐心する野原佳代子氏(東京科学大:セッションチェア)や丸の内の再構築事業やアートアーバニズムを手がける西本龍生氏(三菱地所)との掛け合いで、この日に行われるセッションでは一番「楽しい」セッションになるであろうことは私が保証します。

ぜひご参加ください。
https://www.localknowledge.jp/2024/10/1659/

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