物質と生物が織りなす知性

Living in the Material World with Intelligence

日本を代表する京都学派の哲学者、三木清(1897 – 1945)が凄いのは、人間の本質が理性や意志にあるのではなく、構想力にある、構想力こそが人間の本質、と喝破したことです。「構想力は理性よりも根源的で、人間と動物をまず最初に区別するのは理性ではなく構想力」というわけです。そしてその構想力なるものは感性と知性の根底にある能力であり、目の前にある現実を超えて将来の新しいイメージを構想する力、なのだそうです(詳細は『構想力の論理』(岩波文庫)をご参照ください)。記号接地問題とフレーム問題をいまだに解決できない人工知能(artificial intelligence)にこの構想力なるものは存在しません(統計処理による過去の模倣と効率化だけがAIの得意技です)。現代社会に生きる私たちに必要なのは真に豊かな社会がどのようなものかを妄想し、構想する力でしょう。知能や知識に関連した作業はAIに丸投げしておけば良い、しかし知性の創造は物質、そして物質から構成されるヒトに任せろ、ということです。

シュレディンガーの水曜日

物質が持つ知性はどのように社会実装可能か

ラテン語の「ars」は本来「技」「技巧」「手腕」などを指す言葉ですがここから派生した「artificialis」が現在私たちが使う「artificial 」の語源で、「人工的な(人為的な)」という日本語がここに割り当てられるわけですが、この...

シュレディンガーの水曜日

自然知能を社会実装する:チューリングの功罪から、意思決定する物理「綱引き原理」へ

自然界に存在する生物や物質には、意図的な回路のような構造を持たなくても、適切な入力と出力があることにより、社会的な価値をもたらす情報処理や機能変換などの、知的機能を発現する可能性があります。...